日本株月次レポート:2025年6月

長期投資家が見据える自社株買いの先の姿
2025年3月期の本決算発表時、多くの企業が自社株買いを発表し、その金額は過去最高だった昨年度の水準を上回るペースとなり株式市場上昇の一つの要因となりました。
過剰な現金を寝かしている企業は価値向上につながらない状態を放置しているとみなされる一方、自社株買いによって資本蓄積を抑制し自らを規律付けられる経営者は投資家からの信頼を得られるというエージェンシー理論は従前より広く認識されてきた考え方です。株主還元が特に過去数年顕著に加速してきた背景には、東証のガバナンス改革のイニシアチブが大きく寄与していると考えます。(注1)
日本市場には過剰資本のバランスシートをもつ企業が多くみられます。株主資本の比率が高すぎるとROE(自己資本利益率)が上がりにくく、また株主資本は負債よりもコストが高いため、エクイティスプレッド(ROEと株主資本コストの差)が拡大しづらく、その結果、株価が低位にとどまる企業が多くありました。
配当や自社株買いによって株主還元が増加すれば、自己資本の増加が抑制され(ROEの分母が抑制されるため)ROEは上がりやすくなります。ところが過去数年株主還元が増加したにもかかわらず、実際にはROEは明確な上昇傾向は見受けられません。これは資本効率を改善させるほどには、自己資本が抑制されなかったためと考えられます。
自社株買いを実施した企業は多くの場合、総還元性向の引き上げの説明をしています。総還元性向とは一年間で稼いだ利益を分母とし、その年の配当と自社株買いの合計を分子とした比率です。稼いだ利益のどの程度を株主に還元するかを示す指標です。これは単年度利益の配分でフローの考え方であり、この単年度利益の蓄積を示すストックの考え方であるバランスシートにまで言及しているケースは現状数少ない企業に限られます。
当社を含む長期投資家が期待していることは企業が志向する最適なバランスシートの明示です。事業を行う上で発生するリスク、期待されるリターンの想定、そして資本コストの推定があれば、必要な自己資本の水準が把握できると考えます。そして十分なエクイティスプレッドを確保するための最適バランスシートの姿がおのずと描かれるものと考えます。
株主「還元」という呼称も誤解を招く一因のように感じます。長期投資家は短期的な還元で一時的な株価上昇を望んでいるわけでありません。エクイティスプレッドを拡大させる考え方自体を重要ととらえています。
ROE拡大の手法は株主還元だけではありません。資本コストを上回る有望な投資機会に積極投資することで本業の価値向上にも期待されます。株主へ「還元」することが重要なのではなく、資本コストを上回る収益率を目指す事業戦略と、資本コストを下げるため自己資本の膨張を抑制する財務戦略を提示することで、経営リソース配分の予見可能性が高まり、市場との信頼関係が高まるものと考えます。
そのためにはまずは資本コストの認識が出発点となると考えます。「資本コストは企業の価値創造を考えるうえで最も重要な概念のひとつであり」「経営資源を有効に活用することができることになり、企業価値を高める」との指摘に同意します。(注2)
「同業他社の総還元性向に比較して御社は低いようですが?」という投資家の質問を耳にすることもあります。
比較検討すべき指標は同業他社の水準ではなく当該企業の事業からの期待リターンと資本コストであることを、投資家もまた認識する必要があるようです。
注1)「投資者の視点を踏まえた「資本コストや株価を意識した経営」のポイントと事例」、東京証券取引所、2024 20240201_1.pdf
注2)『日本株式市場のリスクプレミアムと資本コスト』みずほ年金研究所、菅原周一著、株式会社きんざい、2013、P153
*当資料及びコメントはあくまでも参考として情報を提供しており、第三者等への配布物用では無い旨ご留意ください。