実質金利の上昇が示すもの
債券市場では、再び国債への注目が高まっています。特に米国債市場では、短期から中期の年限を中心に値動きの大きい状況が続いています。しかし、その一方でインフレへの期待感は驚くほど落ち着いています。これは、債券利回りに織り込まれた市場のインフレ期待を示すブレークイーブン・インフレ率がほぼ変化していないことにも表れています(「今週のチャート」参照)。つまり、市場は単純に「今後インフレが高まる」と見込んでいるわけではありません。むしろ、投資家は資金を提供する見返りとして、より高い実質リターンを求めるようになっているのです。その背景には、経済を取り巻く需給バランスの変化があります。資金需要が高まる一方で、これまで長年にわたり債券の供給を吸収してきた投資家層が慎重姿勢を強めています。政府は、防衛、インフラ整備、経済・社会の変革に向けた投資を賄うため、財政支出を拡大しています。同時に、AI、データセンター、それらを支えるエネルギーインフラ分野を中心に、信用力の高い企業による債券発行も増加しており、資金獲得をめぐる競争が激しくなっています。さらに、中央銀行は保有する債券残高を縮小したり、償還を迎えた債券を再投資せずに保有額を減らしたりしています。その結果、債券の供給は増える一方で、需要は以前ほど伸びなくなっています。こうした状況では、資本の価格、すなわち金利が上昇するのは自然な流れと言えるでしょう。
実質金利の上昇は、いくつかの要因が重なり合って生じています。まず、大幅な財政赤字や追加の歳出プログラムによって国債発行額が増加しています。一般に、供給量が増えれば、新たな買い手を呼び込むためにより高い利回りが求められます。また、インフレが再び投資家にとってのリスク要因として意識されるようになったことも挙げられます。市場が織り込む長期的なインフレ期待は依然としておおむね安定していますが、供給網の混乱、関税政策、エネルギー価格の変動、各種ボトルネックが以前より頻繁に発生しています。そのため投資家は、将来の不確実性に対する上乗せ分として、より高いリスクプレミアムを要求するようになっています。さらに、中央銀行の政策運営も変化しています。欧州中央銀行(ECB)はインフレ抑制に向けた姿勢を明確にしており、ユーロ圏の短期金利により強い影響を及ぼしています。一方で、米連邦準備制度理事会(FRB)や日本銀行(日銀)は、より慎重な対応を取っていると市場から受け止められており、その結果、長期ゾーンの金利変動が大きくなりやすい状況となっています。もっとも、市場では現在、日銀が9月に追加利上げを実施する確率がおよそ80%と織り込まれています。円相場の下支えを目的とした政府・日銀の介入以降、市場では日銀が想定以上に早いペースで利上げを迫られる可能性が高いとの見方が広がっています。この見方には、円安が過度に緩和的な金融政策やマイナスの実質金利に結びついているという背景があります。
中央銀行にとって重要なのは、こうした背景を正しく見極めることです。先週開催されたジャクソンホールでの中央銀行シンポジウムも、まさにこうした議論を行う場となりました。もし金利上昇の主因がインフレ期待の上昇にあるのであれば、中央銀行は信認を維持するために、より引き締め的な金融政策を採らなければなりません。一方で、債券市場における需給の悪化といった純粋な供給ショックが原因で金利が上昇し、資金調達環境が過度に厳しくなっているのであれば、利下げやバランスシート縮小の停止といった対応が適切となる可能性があります。実際、主要中央銀行は依然として、過去の金融危機やパンデミック対応の過程で積み上げた債券保有残高を段階的に縮小している最中です。
米財務省が2026年9月9日から、長期ゾーンの米国債を対象とする買い戻しの規模を少なくとも倍増すると発表したことも、この不安定な債券市場の状況を映し出しています。買い戻しの上限額は1回当たり20億米ドルから少なくとも40億米ドルへ引き上げられ、まずは現在の国債発行四半期の残り期間を対象に実施される予定です。こうした買い戻しは市場機能の改善につながります。流動性の低い既発債を市場から買い戻し、その代わりに取引しやすい銘柄を市場に供給することで、市場の分断を抑え、価格形成を円滑にし、期間プレミアムを一時的に低下させる効果が期待されます。もっとも、こうした買い戻しは金融緩和と混同すべきではありません。買い戻しの原資が新たな国債発行によって全額賄われる場合、公的債務残高の減少幅はごく限定的です。特に、足元では金利上昇を受けて長期債の価格が大きく下落しているため、その効果はなおさら限られます。実際に変化するのは、主として市場に流通する国債の構成です。財政赤字、国債発行額、インフレリスクが引き続き高い水準にある限り、金利全体の水準に対する影響は限定的にとどまるでしょう。むしろ、当局が長期金利の上昇を意図的に抑え込もうとしているとの印象を市場に与えることは問題になりかねません。そうした見方が広がれば、国債管理政策と金融政策の制度的な独立性に対する疑念を招く可能性があるためです。
一方で、現在の経済状況は多くの市場関係者の予想以上に底堅さを維持しています。実質金利の上昇は続いているものの、投資家心理や設備投資などの経済活動を明確に冷え込ませるまでには至っていません。また、原油価格を中心とする地政学的な不確実性についても、現時点では経済に目立った悪影響を及ぼしている様子は見られません。
今週のチャート
出所:LSEG Datastream、AllianzGI Global Capital Markets & Thematic Research、2026年8月24日時点。
過去の実績や予測、予想、見込みは将来の実績を示すものではなく、また、将来のパフォーマンスを示唆するものではありません。
来週を考える
来週は重要な経済指標の発表が相次ぎ、今後の債券利回りの動向や、その背景にあるインフレ期待と金融政策見通しを占ううえで重要な試金石となりそうです。週明けには、ドイツで8月の消費者物価指数(CPI)速報値が発表されます。続いて火曜日には、ユーロ圏のインフレ率速報値に加え、米国の製造業景況感指数や、雇用動向調査(JOLTS)の求人件数が公表される予定です。また週半ばには、ADP雇用統計が発表され、米国労働市場の足元の状況を見極めるための最初の手掛かりが示されることになります。
木曜日は、米国の貿易収支、週間新規失業保険申請件数、生産性および単位労働コストに加え、サービス業購買担当者景気指数(PMI)に市場の注目が集まります。そして金曜日には、米国の公式雇用統計が発表されます。この統計では、非農業部門雇用者数、失業率、賃金上昇率、労働時間などが公表され、米国労働市場の実態を総合的に評価する重要な材料となります。
これらの経済指標は、利回り上昇が引き続き中立金利の上昇を反映したものと受け止められるのか、それとも実体経済の減速を示す兆候が現れ始めるのかを見極める材料となるでしょう。
金利の安定とインフレの落ち着きが続くことを期待します。