日本株月次レポート:2026年4月
原油高とプライベートクレジット
中東情勢の緊迫化により原油価格が急騰し、史上最大級の供給混乱との見方が広がっています。価格上昇だけでなく、原油および原油由来の化学品の調達リスクが懸念されています。
通産省(現・経済産業省)在職中に堺屋太一氏が上梓した『油断!』(注1)は、高度成長後の日本が「危機はもう来ない」という空気に包まれ、リスク感度を失っていく過程を描いた経済小説です。原油は単なる資源ではなく国家安全保障と直結する「戦略物資」であり、その価格変動は政治の鏡であると指摘しています。堺屋氏が警鐘を鳴らした「油断」とは、リスクの存在を忘れることではなく、リスクを知りながらも“起きるはずがない”と確信してしまう状態を意味していました。
こうした危機意識の共有もあり、オイルショック後同書執筆時は60日程度だった石油備蓄量は、現在では250日以上へと積み増されています。その結果、現在の中東緊迫化の中でも日本国内はパニックに陥らず、直ちに極度の懸念にまではいたらないとの見方が外国人投資家の日本株への一定の安心感にもつながっています。一方で、さまざまな化学製品の原料となるナフサは60%を輸入に依存し、備蓄量は約20日とされます。非常時には原油備蓄から国内でナフサを生産して対応するという前提があったようですが、ナフサは原油蒸留工程の副産物であり、他製品との生産バランスの制約から供給力を機動的に引き上げることは容易ではないとされています。
同時に金融市場では、中東紛争とは別の懸念として、プライベートクレジット市場の不透明感が投資家心理を冷やしています。リーマンショック以降の規制強化により銀行融資が制約される中、ノンバンクによる高リスク融資が拡大しました。過剰流動性を背景に利便性の高いノンバンク融資が広がる一方で、一部ではモラルハザードも生じ、融資先企業の破綻ニュースが増加しています。
もっとも、多くの専門家は、依然として世界的な流動性が潤沢であり、与信費用も安定していることから、これが金融危機に直結する可能性は低いと見ています。融資先企業の中にはAIによる代替可能性が懸念されるソフトウェア企業も多いものの、こうした個別案件のリスクはどのファンドにもつきまとう性格のもので、体系的リスクとは見なされていません。また、原油価格上昇が直接的に財務悪化を引き起こし得る融資先は多くないとの見方が支配的なため、中東情勢・原油高とプライベートクレジット市場はそれぞれ別々の独立した懸念要因として議論されています。
しかし、プライベートクレジットファンドの多くは非公開であり、個別の借入条件・担保構造・資金繰り状況などは開示されません。詳細なボトムアップ分析を行えるアナリストがほとんど存在しないという事実自体が、市場の不透明感を高めています。
松本清張の『空の城』(注2)では、オイルショックと原油高が引き金となって破綻した名門商社をモデルに、原油をめぐる利権が政治家・官僚・企業を結びつけ巨大権力を形成したものの、実態は不透明な取引と相互依存による脆い均衡にすぎなかったことが描かれました。外部環境の変化によってその均衡がいかに容易に崩れ去るかを描いています。
プライベートクレジット市場に蓄積される不透明なリスク構造は、この“脆い均衡”を想起させる側面があります。平時には問題が表面化しにくい一方、環境が変化すれば連鎖的な影響が顕在化する可能性があります。プライベートクレジットが本格的に拡大してからわずか10年程度であるため、ストレス環境下でどのような連鎖が生じるかの実証が十分に存在しない点も懸念材料となります。
“原油高がプライベートクレジットへ与える悪影響は小さい”、との楽観論の背後に、把握されていないリスクが潜んでいる可能性には注意が必要です。原油高が世界的なコストプッシュインフレを押し上げ、先進国の金融政策が利下げ期待から一転して利上げ方向へ傾く引き締め局面が生まれれば、プライベートクレジット市場への悪影響が拡大するというテールリスクは無視できません。”起きるはずがない“という思い込みを捨て、世界的な金融市場と投資家心理の構造変動を適切に読み解き、その影響を見極められるかどうか、運用会社の全方位的な調査・分析能力と洞察力が問われる局面と考えます。
注1:《参考》日本経済新聞社、堺屋太一、1975年1月、『油断!』
注2:《参考》文春文庫、松本清張、2009年11月、『空の城』